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2020 03,17 13:46 |
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〔A〕リーダーシップを発揮する場面 ごく当たり前のことであるが、リーダーシップが発揮される場面は何かと問えば、組織のとりくみのすべてである。ただ、あえて整理すれば以下のようになる。 [ⅰ]法人業務課題実現のための方針解明 [ⅱ]上記法人業務課題実現のための組織方針解明 [ⅲ]上記方針および組織方針にもとづく実践 [ⅳ]業務組織・法人組織建設の指針解明 [ⅴ]上記組織建設指針にもとづく実践 良く謳われている「PDCAサイクル」[Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)]のサイクルを活用するならば、[ⅲ][ⅴ]を評価し改善するというサイクルも問題となるが、便宜上ここでは略したい。 それぞれのとりくみにおいて、組織構成員がリーダーシップを発揮していく。その発揮の構造については[ⅰ][ⅱ]のなかに―とりわけ[ⅱ]のなかに―方針として組み込まれることもある。そして[ⅳ][ⅴ]はリーダーを育成し、それをデコとして組織を組織として創りあげていくための指針と実践という性格をもっている。 具体的には、各段階でどのようなリーダー(シップ)にまつわる活動を繰りひろげるのか? [ⅰ]では、たとえばわが法人の災害対策にとりくむにあたっての指針を解明し内外に宣明するわけだが、恒常的な災害対策グループを法人に設置し、またときどきの事態に対応して災害対策本部を設置する…というような指針をも組み込むことになる。 [ⅱ]では、その災害対策グループや災害対策本部の構成員や責任者を誰が担うのか、そのために誰がリーダーシップを発揮してどのように彼らを組織するのか、という構造の指針を解明する。 [ⅲ]では、むろん上記した災害対策グループや災害対策本部が中心となり、その担い手が主にリーダーシップをとりながら・他の職員らを組織しながら災害活動にとりくんでいく。 [ⅳ]では、災害対策グループや災害対策本部の担い手のなかに[ⅲ]の組織的実践を通じてどのような変化が生み出されているのかを見極めながら彼らを強化していく。また、彼らに組織され災害対策活動を担った担い手を災害対策グループ・災害対策本部の担い手へと高めていく…そのための指針を解明し、この指針にのっとって [ⅴ]において実践する。 さて、ここでわれわれが是非とも心がけたいことがある。 第一に、リーダーシップを、ある指導的なポストに固有のもの・特化したものとして理解してはならない、ということである。われわれの組織の現状をみるならば、どうしてもリーダーに指導性の発揮を委ねてしまう傾向が根強いことは否みがたい。<指示するする人=指導的メンバー>←→<指示をうける人=被指導的メンバー>という関係の固定化である。リーダーシップを発揮するのは前者(リーダー)であって、後者はもっぱらフォロワーであるというように関係を固定化する傾向である。この傾向は被指導的メンバーに多く見られることであるが、指導的メンバーのなかにも見られないわけではない。 むろんリーダーシップは多くの場面で指導的メンバーが発揮するわけだが、被指導的メンバーもまた種々の条件の下では(たとえば、みずからの主張に自信がある、組織の現状が無指導状態や混乱状態にあると思えるなどの場合)おおいにリーダーシップを発揮すべきである。そのさい、言動は指導・被指導関係をふまえてなされるべきであるし、提案や意見の発信は組織の討論ルールにのっとらなければならないことも当然である。こうした事柄に留意しつつ、組織の前進にとって何をなすべきか、組織を前に進めるためには自分が何をすべきか。このことをわれわれの立ち振る舞い・言動の基準的理念として、ひとつ頑張ってみようではないか。 このように述べても、被指導的メンバーがリーダーシップを発揮するさいにまるで“清水の舞台から飛び降りる”ほどの決意をふりしぼらないと実現しないのであれば、それは決して望ましいことではない。それを避けるためには、過度なプレッシャーを避けることができるような組織的な保障を皆で創りあげていくべきである。たとえば、会議や打ち合わせなどにおいて多くの職員が自由闊達に意見を表明し、やがてリーダーシップを発揮しうる意欲が湧き出るような保障を、である。こうした努力を経てはじめて、広く多くのメンバーがリーダーシップを発揮することができる風習も形成されるだろう。こうした組織的な保障づくりをしていくことが重要である。 また、課題を実現していくために、例としてあげたように「…グループ」とか「…本部」とか必要に応じた時どきのチームづくりなど組織的構造をつくりあげる工夫にも創意工夫を凝らしていこう。そうすることで、一部の指導層だけでなく、多くの担い手が参与するかたちでのとりくみが可能となり、このことがリーダーシップの多層的・多重的な発揮が組織として可能となることだろう。これらの組織的保障づくり・組織的構造の創造を積極的に行なっていくことが、第二のことがらである。 〔B〕リーダーシップ発揮を導く諸能力 では、リーダーシップを十全に発揮するためにはどのような諸能力が重要となるのだろうか? ドラッガーが『プロフェッショナルの条件』でリーダーシップをとることができる人の要件について触れていることなどをもヒントとして、種々の研修やレクチャーで“リーダーシップ能力のある人の特徴”とか“リーダーシップを発揮できる人が持つ要素”とか“優れたリーダーシップを発揮する人の特徴”とかが、様々な場面でとりあげられている。そこでは、典型的には以下の諸能力が列挙されている。 (1)明確なビジョンをもっている 「(5)誠実である」「(6)精神的に安定している」「(7)信頼されている」という三点については、受けとめの幅を広くしてしまうきらいがあり、共通の理解内容をつくるには限界があるとはいえる。けれどもすべての項目とも重要であり、参照すべきことばかりである。 とはいえ、これらがいみじくも“人”とタイトル表示されてしまっている点に小さからぬ問題がはらまれている。“個人としての個人”がもつべき諸能力と観念されてしまう落とし穴があるからある。もちろん、コトがリーダーシップにかかわる問題であるのだから、人と人との関係を論じるという前提までもが損なわれているわけではない。とはいうものの、組織と個人にかんする把握の歪みに規定されて、多くの場合実質的に“組織と切断された個人”と感覚・観念されているということである。 あくまでもわれわれは、リーダーシップを支える諸能力を、<組織の一員としての主体>がもつべき諸能力として理解していく必要があるだろう。たとえば筆者にとっては(1)~(4)はどうしても以下のように捉えたい。 (1)「明確なビジョンをもっている」…ビジョンなる概念が将来像を指示するだけのものであるという点はさしあたりふれないとしても、そのビジョンをたった一人でつくりだすわけではない。みずからの意見を他の組織成員のそれと練り合わせ、その結果組織のビジョンをつくりあげる。 ここでのキー概念は<組織的主体性>である。一般的には「組織と個人」や「全と個」というかたちで思索されることが多いが、この深淵な問題をわれわれも真剣に考えるべきである。われわれ一人ひとりは個別的主体性をもちながら組織に属している。これらの個別主体性が集まって組織的全体性がかたちづくられている。だから、われわれ一人ひとりは“裸の個人”ではないということである。あくまでもわれわれは組織の一員として実在している。このことは、他ならずわれわれのなかに組織的全体性が内在していなければならないということである。 こうした思索を深めることによってはじめて、リーダーシップを発揮する担い手の能力や資質を論じることが可能となる。この思索を欠如することによって、知らず識らずのうちにその担い手についての理解が実質上“個人としての個人”へと変質してしまう陥し穴があることをわれわれは肝に銘じなければならない。 〔C〕リーダーシップのスタイル 次に、リーダーシップのスタイルということについても触れておこう。興味深いことに、エモーショナル・インテリジェンス(EI:心の知性)の提唱者で、EQ=「心の知能指数」を体系化した心理学者ダニエル・ゴールマンが6つのリーダーシップスタイルを提唱し類型化を試みている。 ①ビジョンリーダーシップ ②コーチングリーダーシップ ③調整リーダーシップ ④仲良しリーダーシップ ⑤実力リーダーシップ これらのもののうちどれかひとつを最良のものとして選択することは不可能であるし、またそうすべきでもない。それらをあくまでも要素として捉え、状況に応じて、また自己の得手・不得手、向き・不向きや個性・経験・能力などをふまえて、採用すれば良いと考える。組織のとりきめとして画一的に定める必要もなく、各メンバーが自分なりのスタイルを確立していくことが重要である。 ただし、そうすることができるためにも、重要な前提の整備することが不可欠である。端的に言って、ここでの展開はリーダーシップをとる人間と他の人間との関係の有り様の類型まとめに終始してしまっている。そこには組織があるようでない。「仕事」と言われ「部下」と言われている以上、そこでは会社組織が前提とされているはずである。だが、会社組織であるならば、種々の部署などの組織機構もあり、組織会議も組織論議もあるはずである。ところがここではリーダーシップをとる担い手と他の人間しか登場しない。やはりここでも個人の算術的総和としての組織というものに堕してしまっている。それは、個人主義がとても進んだ社会の産物でしかないのだ。核心は、個人の努力に委ねることなく、リーダーシップを発揮しやすい組織的環境・組織的条件などの組織的保障を整備することにこそある。 そのうえで、①から⑥を鏡として、われわれのなかにみられる残念な例を確認しておくことも無意味ではないだろう。 [α] リーダーシップを発揮しようという意志は明確にあるが、どうしても課題を一人で抱え込んでしまう傾向。個別事業所トップに多い傾向。他の仲間の力を十分に引き出すことができないだけでなく、リーダーそのものに多大の負担とストレスがかかってしまう。この傾向がもっとも広く見受けられる。 [β] どうしても、リーダーシップを発揮することに諸般の事情でネガティブになってしまう傾向。全体として組織は停滞を余儀なくされ、ネガティブ雰囲気に覆われ、職員のグチやため口が横行することにもなる。 [γ] リーダーシップを発揮しようという意志はあるが、他の職員とのいわば「上下」関係を固定化ないしは助長してしまう傾向。リーダーシップの内実が“しきる”というものへとおとしめられ、いきおい他の職員の主体性が育まれず積極的なメンバーとして育成することがなかなかできなくなる。 PR |
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